HISTORY
OF CAPOEIRAカポエイラの歴史
2025
世界中でカポエイラが親しまれる。
現在、世界中で老若男女がカポエイラを楽しんでおり、さらに人気が高まっている。
2014
UNESCO(ユネスコ)に無形文化遺産に登録される。
2008
ブラジルで無形文化財として登録される。
1981
メストレ・パスチーニャが亡くなる。92歳
1974
メストレ・ビンバが亡くなる。73歳
1970~
カポエイラが世界に広まり始まる。
カポエイラがブラジル国外に広がり、アメリカやヨーロッパを中心に、世界的に人気が高まる。
1953
カポエイラが完全に受け入れられる。
1937
カポエイラが認められ始まる。
1932
カポエイラ・ヘジョナウ創始。
メストレ・ビンバ(Mestre Bimba)が「カポエイラ・ヘジョナウ(Capoeira Regional)」を創設。カポエイラを正式なスポーツとして認めてもらうため、体系化し、技術の向上を目指す。
1924
ビゾーロ・マンガンガが亡くなる。29歳
1900
メストレ・ビンバが誕生。
後にカポエイラ・ヘジョナウを創始する。
1895
ビゾーロ・マンガンガが誕生。
伝説のカポエイリスタが誕生。
1892
カポエイラ禁止。
カポエイラは権力に抵抗する手段とみなされて1892年〜1932まで禁止された。
1889
メストレ・パスチーニャが誕生。
後にカポエイラ・アンゴラを創始する。
1888
ブラジルで奴隷制度廃止。
5月13日、ブラジルで奴隷制度が廃止される。建前上、元奴隷たちは自由になるが、その後も貧困と差別に苦しみ続ける。カポエイラは地下で続けられ、社会的抑圧に対する抵抗手段として残る。
1814
カポエイラが違法になる。
リオデジャネイロでカポエイラが犯罪者やギャングに利用され、違法とされるようになる。
1600~17世紀
キロンボと植民地軍が戦い、カポエイラが発展。
奴隷たちがポルトガルの植民地支配に抵抗するためカポエイラの技術を発展させる。主に植民地での逃亡奴隷(キロンボ)が自衛手段として使い、ブラジルの山岳地帯や密林でのコミュニティを形成しながら植民地軍と戦った。
1500~16世紀初頭
ブラジルにアフリカから奴隷にされた人たちが連れて来られる。カポエイラ誕生。
ポルトガルがブラジルを発見し、植民地化。アフリカから奴隷にされた人たちが連れてこられる。アフリカの文化や戦闘技術が融合し、カポエイラが誕生。